大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和45年(ヨ)1443号 判決

申請人

野田吉章

代理人

山本卓也

被申請人

株式会社豊田自動織機製作所

代表者

石田退三

代理人

本山亨

外二名

主文

一、申請人が、被申請人会社東京出張所の従業員の地位を有することを仮に定める。

二、被申請人は申請人に対し、昭和四五年一〇月一九日から本案判決確定まで、毎月一五日限り一か月金四万八、三四七円の割合による金員を仮に支払え。

三、訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実《省略》

理由

一被申請人は、繊維機械、産業車両および自動車部品の製造販売を主たる業務とする資本金三二億六、四〇〇万円の会社であり、本社を肩書地に、工場を本社所在地、共和、長草、大府および高浜に、出張所を東京および大阪に設け、その従業員数は約六、〇〇〇名であること、申請人は、昭和四一年三月横浜国立大学経済学部を卒業のうえ、同年四月一日被申請人に入社し、三か月間の現場実習後、本社外注部、生産管理部等の業務を歴任し、昭和四三年七月一一日東京出張所に配転を命ぜられ、以来、同出張所に勤務していたこと、被申請人と、その従業員をもつて組織している組合との間で締結している労働協約二八条五号は、組合員の「事故欠勤が一か月以上で特別の事由が認められないとき」は退職とする旨の本件協規を規定していること、申請人は、右組合に所属する組合員であるが、昭和四五年九月一日から同月三〇日まで、連続して一か月間事故欠勤したこと、被申請人は、申請人が昭和四五年九月三〇日をもつて、本件協約該当により被申請人を退職したとして、右従業員の地位を否定していることは、いずれも当事者間に争いがない。

二ところで、本件協約につき、被申請人は、当事者の特段の意思表示を要せず、自動的に退職の効果が発生するという自然退職を規定するものであると主張し、申請人は、これを争うので、この点につき考察する。

(一)  ところで、労働協約としての本件協約が、いかなる意味ないし性質をもつた規定であるかについては、その規定文言自体はもとより労働協約または就業規則上の関連規定等から、労使の合理的な規範意識にそうよう解釈すべきであるから、以下これらの点について検討する。

〈証拠〉によれば、次の事実が疎明される。

1、本件協約を規定する労働協約は、労働契約の終了事由につき、次のような規定をおいている。

「(退職)

第28条 会社は組合員が次の各号の一に該当した場合は退職とする。

1 本人が希望したとき。

2  停年に達したとき(55才)。

3  休職期間が満了したとき(第26条第1号および同号但書による場合)。

4  本人死亡のとき。

5  本件協約

(解雇)

第29条 会社は組合員が次の各号の一に当該した場合は組合と協議の上解雇する。

1 虚弱、老衰、不具、疾病により作業能率が著しく低下し、就業不可能と認められるとき。

2 伝染病の疾病、精神病又は労働のため病勢が増悪するおそれのある疾病に罹り、治癒の見込みがないと認められたとき。

3 懲戒規定により解雇が妥当と決定したとき。

4 その他前各号に準ずる事由あるとき。

(懲戒)

第30条 会社は組合員に不都合行為のあつたときは、別に定める付則規定(懲戒規定)により、懲戒解雇、降格、昇給停止、出勤停止減給、譴責のいずれかをもつて懲戒する。但し、行使の事前に組合と協議する。」

そして、右二八条三号に関する労働協約二六条は次のとおり規定している。

「(休職条件)

第26条 会社は組合員が次の各号の一に該当した場合は休職とする。

1 業務上の負傷、疾病より連続欠勤6か月を経過したとき。但し、結核性疾病は連続欠勤1年6か月経過したとき。連続欠勤期間の中断は7日以上の連続正常勤務を必要とする。

2 (以下省略)」

2、また、右労働協約に関して、組合と被申請人間で締結している労働協約覚書には次のような規定がある。

「2 協約第28条関係

(イ) 本条第2号停年について

1 停年とは55才となつた誕生日をいう。

2 停年による退職日を年4回と定め、その期日を次のとおりとする。

a 前年12月1日より当年2月末日までに停年の者は2月末日。

b 3月1日より5月31日までに停年の者は5月末日。

c 6月1日より8月31日までに停年の者は8月末日。

d 9月1日より11月30日までに停年の者は11月末日。

3 (以下省略)

3 協約第29条関係

本条に規定しない理由により解雇する場合は、会社組合双方慎重に協議の上善処する。

4 協約第30条関係

本条における不都合行為とは次の各号をいう。(1ないし5省略)

6 正当な理由なく無断欠勤14日以上に及ぶ者。(7ないし18省略)」

3、更に、被申請人の就業規則(昭和二三年三月一日制定)においても、右労働協約および覚書とほとんど同趣旨の規定が存する。

4 右労働協約は、昭和三九年三月三一日に締結されたものを、順次更新してきたものであるが、本件協約は、右締結以来存続する規定であつて、これまで一度も改正されたことがなく、かつ、労使間で問題になつたこともなかつた。そのうえ、後記認定のように、過去数年間において、本件協約を適用され退職となつた事例は一件のみであり、むしろ、これに該当する場合であつても、いわゆる任意退職の形で退職している。

〈証拠判断省略〉

(二) 以上の事実によれば、まず、退職事由としての本件協約は、労働協約二八条がこれと並列的に規定している他の退職事由とは、異質的なものと解される。つまり、本件協約は、他の退職事由と異なり「特別の事由が認められないとき」という要件が付加されているから、本件協約以外の場合のように、単に本人の希望または自然的事実のみをもつて、退職事由と定めたものでないことは明白である。

本件協約以外の事由による退職期日は、本人の希望または自然的事実の発生により、一応、客観的に特定されるけれども、本件協約による退職期日は、「特別の事由」の存否とあわせて、事故欠勤が一か月「以上」と規定されているから、客観的、自動的に特定されるわけのものではない。

更に、本件協約の趣旨は、その規定文言に照らすと、事故欠勤一か月以上の者は、特別の事由が認められない限り、その労務提供に期待がもてず、労働契約に基づく継続的信頼関係の維持が不可能と考えられるところから、右契約関係を終了させようとするものであり、結局、企業における従業員の労務提供の確保による正常な運営と秩序維持をはからんとすることにあるものと解される。

この意味において、本件協約は、解雇事由を定めた前記労働協約二九条一、二号と本質的に異なるものではなく、少なくとも、前記労働協約覚書中の協約三〇条関係六号の規定と対照すれば、右二九条四号と同趣旨を規定したものと解される。

これを要するに、本件協約は、規定文言上、形式的には退職事由として規定されているが、実質的には解雇事由を規定したものと解するのが相当である。

従つて、本件協約は、自然的事実以外になんら意思表示を要せず、当然に労働契約が終了する場合と異なり、被申請人の意思表示をまつてはじめて労働契約関係が消滅するものと解すべきである。

従つて、本件協約に関する被申請人の前記主張は採用できない。

三ところで、被申請人が、昭和四五年一〇月一〇日、申請人に対し、申請人は本件協約該当により同年九月三〇日をもつて、被申請人を退職した旨の通知をしたことは当事者間に争いがない。

被申請人は、右通知はいわゆる観念の通知と主張するが、右主張は単なる法律上の意見にすぎないから、なんら裁判所を拘束するものではない。

そして、右通知は、前記本件協約の趣旨にかんがみれば、被申請人が申請人との労働契約関係を終了させようとする効果意思に基づく表示行為として解雇の意思表示を含むものと解するのが相当である。

四そこで、次に、申請人の前記事故欠勤が「特別の事由が認められないとき」、すなわち本件協約に該当するかどうかの点につき判断する。

(一)  申請人が、昭和四三年八月、組合の生産部担当執行委員に、ついで昭和四四年、組合の長草支部長専従執行委員にそれぞれ選任され、昭和四三年九月一日から昭和四五年八月三一日までの間、被申請人を休職となつていたこと、申請人が、組合書記長を通じて昭和四五年八月三〇日、被申請人に対し同月二六付の欠勤届を提出したこと、右欠勤届には、「申請人に出勤意思はあるが、国家権力によつて、不当な逮捕勾留を受け起訴されているため、昭和四五月九月一日以降身柄が釈放されるまでの間欠勤する」旨記載されていたこと、被申請人が申請人に対し、同年八月二八日付をもつて、休職期間満了後の同年九月一日以降は、東京出張所に復職赴任されたい旨の、ついで同年九月四日付をもつて、申請人の欠勤届を正式のものと認められない旨の、更に同月一八日付をもつて出勤を督促する旨の、各内容証明郵便を申請人の父の住所地あてに発送したことは、いずれも当事者間に争いがない。

(二)  〈証拠〉を総合すると、次の事実が疎明される。

1、申請人は、前記のとおり組合の長草支部長専従執行委員をしていたが、昭和四四年一一月一六日、上京のうえ、国鉄蒲田駅付近における佐藤首相の訪米阻止斗争のデモに参加した。

申請人は、反戦青年委員会、全共斗、べ平連のメンバーらと共に、右デモに参加中同日午後四時すぎ、同所で、一〇〇〇名以上の参加者らと一緒に、兇器準備集合、公務執行妨害罪により現行犯逮捕され、引続き同月二〇日、東京簡易裁判所裁判官の発布した勾留状により警視庁池上警察署留置場に勾留されるに至つた。

そして、右勾留期間は一〇日間延長され、その最終日の同年一二月八日、申請人は、同罪名で東京地方裁判所に起訴された。

申請人に対する公訴事実は、申請人が第一に警備に従事する警察官の身体等に対し、多数の労働者、学生らと共同して危害を加える目的をもつて、昭和四四年一一月一六日午後四時五分ころから午後四時一六分ころまでの間、東京都大田区蒲田五丁目国鉄蒲田駅東口広場付近から集団をなし、同区蒲田五丁目二六番地加登屋文房具店前交差点付近に至る間において、右の者らと共に、兇器として、多数の火炎びん、角材、鉄パイプ等を携え準備して集合し、第二に多数の労働者、学生らと共謀のうえ、同日午後四時一七分ころから午後四時三〇分すぎころまでの間、前記交差点付近および同所から前記東口広場に至る通称東口大通りならびにその周辺において、労働者、学生らの違法行為の制止、検挙等の任務に従事していた警視庁警察官らに対し、多数の火炎びん、石塊を投げつけ、角材、鉄パイプで殴りかかるなどの暴行を加え、その公務の執行を妨害したというにある。

2、申請人は、その後中野刑務所に移監されて引続き勾留され、後記のとおり昭和四五年一〇月一二日釈放されるまでの間、右勾留の不当を訴え、勾留理由開示請求、勾留取消請求および保釈申請を重ねていたが、それらはいずれも却下され、依然として勾留が続けられていた。

申請人は、右勾留期間中、組合に対し勾留の実情報告をし、そのことは、昭和四五年一月二八日付以降の組合の週刊誌「労魂」などにも掲載された。

他方、被申請人の代表取締役である社長は、同年二月ごろ、中野刑務所に勾留中の申請人をわざわざ訪ね、申請人と面会していた。

3、申請人は、昭和四五年七月二二日、裁判所に対し五度目の保釈申請をしたが、これに対する裁判は、同年八月下旬になつても留保された儘となつていた。また、申請人は、裁判所に対し公判審理の方式につき統一公判を要求していた関係上、これをめぐつてのトラブルから第一回公判期日さえ開かれない状態であつた。

そこで、申請人は、組合の専従執行委員としての休職期間が、同年八月末日をもつて満了することから、同年九月一日以降の復職についてその可能性を懸念し、前記欠勤届を作成してこれを組合書記長あてに郵送し、被申請人の本社あてに提出方を依頼した(組合書記長にこのような依頼をしたのは、休職期間満了後の復帰職場は、労働協約三八条二号により原則として休職前の所属職場に復帰することになつていたが、右欠勤届作成の時点では、申請人の復帰職場がまだ被申請人からの連絡もなく、明確でなかつたことによるものであつた。)。

なお、右欠勤届の提出日時および記載の要旨は、前記のとおりであるが、申請人は、同書面において、特に、勾留が法律的にまつたく理由なく、政治的理由による不当なものであることを強調し、この点を詳細に記載した。

4、他方、組合は、同年八月二五日ごろ、被申請人に対し、書面をもつて組合役員の更迭を通知すると共に、申請人の復職につき格別の配慮を懇請していた。

5、ところで、被申請人の申請人にあてた前記欠勤届を正式のものと認めない旨の通知および復職赴任通知は、いずれも申請人の父の住所地に配達された分が、父から勾留中の申請人に対しまとめて転送された。右転送は、当時の父の家庭事情から遅れるに至り、申請人がこれを受領したのは、同年九月一六日であつた。

6、申請人は、右復職赴任等の通知の返信を、その受領の翌一七日付書面をもつて、そのころ、被申請人あてに郵送した。

右返信の要旨は、「不当勾留のため出勤できず、欠勤期間についても、さきに提出の欠勤届によつて明らかにしてあるから、再検討して欲しい。右欠勤届を正式のものと認めない理由ないし根拠が理解できないので、異議がある。」「今後は中野刑務所の申請人あて直接連絡されたい」というにあつた。

被申請人は、右書面を同月二二日ごろ受取つた。

7、ついで、申請人は、同年九月二二日ごろ、東京出張所長から出勤を督促する書簡を受領した。

そこで、申請人は、同日付書面をもつて、そのころ、同次長あてに、勾留されているため出勤できないなど、これまでの本社との連絡経過を説明したうえ、「釈放されたら直ちに出勤するつもりであり、保釈に支援をお願いしたい」旨返答した。

同次長は、右書面を同月二八日ごろ受取つた。

8、他方、被申請人は、同月一九日、申請人に対し、前記出勤督促の内容証明郵便を前同様申請人の父の住所地あてに発送した。申請人は、右書面を同月二四日受領した。

そこで、申請人は、早速、これに対しても、翌二五日付をもつて被申請人あてに、申請人の前記同月一七日付書面の検討を依頼すると同時に、釈放されたときは直ちに出勤することを約し、保釈についての支援を懇請する旨の書面を、そのころ、郵送した。

9、ところで、申請人の前記五度目の保釈申請は、同年九月二五日却下され、右決定正本は、同月三〇日申請人に送達された。そこで、申請人は、右却下決定に対し準抗告の申立てをしたところ、同年一〇月一二日保釈が認められ、同日午後六時三〇分ごろ釈放されるに至つた。

10、申請人は、右保釈の翌一三日午前八時四五分ごろ、東京出張所に赴き、次長に対し、前記退職通知は無効であるとして就労を求めた。

これに対し、次長は、右退職通知は正当であるとして、申請人に対し、退去するよう説得を重ねた。

しかし、申請人はこれに応ぜず、仕事も与えられない儘、同日午後五時すぎ帰宅した。

申請人は、翌一四日も、東京出張所に就労のため赴いたが、前日と同じようなことが繰り返され帰宅した。

そして、申請人は、同月一五、一六、一七日の三日間は、本社で開かれた組合の執行委員会に出席したうえ、同月一九日の月曜日、就労のため東京出張所に赴いたところ、被申請人の従業員らによつて入室も阻止されるに至つた。

11、東京出張所の昭和四四年九月当時の従業員は、男子四名、女子二名の計六名であつたが、昭和四五年一月に男子一名が病死し欠員となつた。そこで、同出張所は、そのころ本社あてに、その補充を求めていたが、それは認められないで出張応援を受けていた。その後、東京出張所は、同年八月二七日、本社から申請人が復職することになつた旨の連絡を受け、その受入れ準備をしていたが、同年一〇月八日申請人は退職となつた旨の通知を受けた。

12、ところで、被申請人において、本件協約を適用した事例は、過去数年間に一件のみであり、それは、長草工場の車両製造部ボデー課に所属する藤沢義秋の場合であつた。

すなわち、同人は、かねてから右工場の従業員寮内で暴行事件をおこすなど勤務成績もよくなかつた者であるが、昭和四四年一〇月二〇日以降同年一一月二二日まで事故欠勤し、その所在も不明となつた。そのうえ、右欠勤期間には、一六日間の無届欠勤が含まれていた。そのため、被申請人は、同人に本件協約を適用し、同年一一月二一日をもつて退職したとして取扱い、組合もこの処置を了承した。

なお、昭和四二年ごろ、従業員が恐喝罪で逮捕勾留され、被申請人がこれを懲戒処分相当として右従業員の両親が懇請していた依願退職を拒否して人事委員会が開かれた事案で、その間に勾留(欠勤)期間が一か月以上経過したが、結局、被申請人は本件協約を適用せず、右従業員を勧告退職させた。

13、また、被申請人の従業員中、昭和四四年九月一日から昭和四五年九月三〇日までの間に、事故欠勤一か月以上となつた該当者は、申請人および前記藤沢義秋を除いて計九名いた。そのうち、三名は、いずれも本件協約の「特別の事由」の存在を認められたが、他の六名は、二か月近い事故欠勤者も含めていずれも右事故欠勤一か月後において、本人の希望によるいわゆる任意退職の形で退職した。「特別の事由」の存在を認められた右三名は、うち一名は吃音矯正、残り二名は、重病の母を看護することを事由としたもので、いずれもその欠勤期間は順次延長されて数か月に及んでいるが、本人または直属上司などからその実情について配慮されたい旨の懇請がなされていた事案であつた。

〈証拠判断省略〉

(三)  以上の認定事実によれば、申請人は、昭和四四年一一月一六日、兇器準備集合、公務執行妨害罪により現行犯逮捕され、同罪で起訴されたうえ、昭和四五年一〇月一二日までの約一一か月間にわたり引続き勾留されていたことが明らかであり、他方、被申請人においては、右逮捕勾留につき、その理由も含めて遅くとも、社長が勾留中の申請人を訪ねた昭和四五年二月ごろには、これを知つていたものと推認されるから、申請人を退職として取扱うに至つた同年九月三〇日の時点では、右勾留が将来にわたり継続するであろうことは、一応予測していたものと考えられる。

申請人は、右逮捕勾留は、違法不当なものであると主張し、〈証拠〉中には、これに添うような供述記載が存するけれども、前記認定のように、裁判官は法規に基づき、申請人に勾留の理由と必要性を認めて勾留していたものであり、この種集団事件の特質にかんがみると、たやすく右逮捕、勾留を違法と断ずることができない。そして、他に右逮捕勾留を違法不当と推認させるにたりる疎明資料は存在しない。

そうすると、申請人の右勾留に基づく昭和四五年九月一日から同月三〇日までの事故欠勤は、申請人の責に帰すべき事由によるものと評すべきである。

従つて、右事故欠勤は、不可抗力の事故に基づく欠勤と同視できないことはいうまでもなく、先に述べた本件協約の趣旨に照らし、本件協約に該当するものと一応認められる。

申請人は、被申請人が本件協約を適用するにつき、判断時期を誤り、かつ何らの調査をしなかつた違法がある旨主張する。

しかし、被申請人が、右事故欠勤を本件協約に該当すると判断し、これを適用したのは、前記被申請人の申請人あて退職通知が、被申請人において、同年九月三〇日の満了をもつて本件協約所定事由に該当すると判断したうえのことであると解せられるから、本件協約所定の「一か月」の期間満了後であることは明らかである。

また、事故欠勤について特別の事情の存することについての資料はまず当該欠勤者が、これを提出すべきであつて、使用者が自らその資料の全部を収集しなければならないものとは解せられないから、申請人の右主張は採用できない。

四しかしながら、被申請人の本件協約に基づく労働契約終了の意思表示は、次の理由により権利の濫用として無効と解するのが相当である。

すなわち、前記認定のように、被申請人において本件協約を適用した事例は、過去数年間に特殊なケースとして一件あるのみであり、本件協約に該当するような事案でも、いわゆる任意退職として退職させていたこと。申請人は、事故欠勤に際し、あらかじめ一応その理由を明らかにした欠勤届を提出したうえ、勾留中という異状事態にあつても被申請人との連絡に努め、かつ、常に出勤の意欲をもつて、その努力を重ねていたこと、被申請人は、組合から申請人の復職につき、事前に格別の配慮を懇請され、更に申請人からも、欠勤届を正式のものと認められないことについての異議を申出たにもかかわらず、これらに対する応答もしないで、事故欠勤一か月の満了を理由に、厳格に本件協約を適用したこと、その他申請人の事故欠勤により、東京出張所の業務が著しく支障をきたしたとの適確な疎明がなく、また申請人が、従前被申請人から懲戒処分などを受けたとの疎明がないなど諸般の事情を総合すれば、被申請人が、申請人に特別の事由が認められないとして、本件協約を適用したことは、他との均衡上からもはなはだ重きに失し、権利の濫用として無効というべきであり、従つて、これに基づく前記労働契約終了の意思表示も無効といわなければならない。

五以上のとおりであるから、申請人のその余の主張は判断するまでもなく、申請人は、依然として東京出張所の従業員としての地位を有することが明らかであり、これを争う被申請人に対し右地位確認を求める利益があることも明白である。

(一)  また、申請人の昭和四四年八月ないし一〇月当時における平均賃金が一か月四万八三四七円であり、前月一日から末日までの賃金計算期間に基づき、毎月一五日に支給されていることは当事者間に争いがなく、被申請人が申請人の昭和四五年一〇月一三、一四日および同月一九日以降の労務提供を拒否していることは、さきに認定したとおりである。

(二)  そして、〈証拠〉によれば、次の事実が疎明される。

申請人は、勾留中の昭和四五年八月、組合の非専従執行委員に立候補し、これに当選した組合役員であつた。

前記労働協約三九条三号は、組合役員が組合活動を行うときは、労働時間内においても例外として認められる旨を、同協約四〇条は、組合員が労働時間中に組合業務を行なう場合、その不就業労働時間分の賃金は、会社(被申請人)と組合が協議または交渉を行なうとき、組合役員が組合に緊急必要な事項のとき(ただし一人一日につき一時間以内)、または会社が賃金支払いを認めた場合を除き、支払われない旨をそれぞれ規定している。

(三)  しかしながら、申請人は、前記認定のように、昭和四五年一〇月一五、一六、一七日の三日間は、組合の執行委員会に出席したものであり、これが右労働協約四〇条所定の除外事由に該当することを認めるにたりる疎明はなく、他に、右三日分の賃金請求権を有することを認めるにたりる疎明資料はない。

そうだとすれば、申請人は被申請人に対し、申請人が労務を提供した昭和四五年一〇月一三日以降右三日分の賃金を除き、被申請人の責に帰すべき事由によつて、右提供が不能となつたのであるから、一か月について前記金額の割合による賃金請求権を有することが明らかである。

(四)  次に、申請人が、被申請人の従業員として支給される右賃金によつて生計を維持している労働者であることは、被申請人において明らかに争わないところであるから自白したものとみなす。

従つて、申請人が被申請人から従業員としての地位を否定され、右賃金の支払いを受けられないときは、生活が窮迫し著しい危害をこおむるおそれがあると認めざるをえない。

そこで、申請人が、仮に、被申請人の従業員たる地位を確認し、賃金の仮払いにつき、昭和四五年一〇月一九日から本案判決確定までの限度で、その必要性を認めるのが相当である。

六よつて、本件仮処分申請は、右の限度において理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。(松本武 角田清 鶴巻克恕)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例